社員インタビュー

街づくりの感動を胸に東田開発に挑む

高橋恵介
1991年入社/トップリート・アセットマネジメント(株)出向
(インタビュー当時:九州支店 開発企画部 ソリューショングループリーダー)

 

平成12年10月、私は本社から大分支店へ転勤となりました。学生時代から山好きだった私にとって、自然の多い九州への転勤は心が弾みました。とは言っても、仕事の面では管理部門から宅地・戸建て注文住宅の営業の仕事(ライフタウン明野南)への異動とあって環境が激変し、つらいことの連続でした。自分に知識やスキルがない上、もともと区画を大きく割りすぎていた土地の問題もあって、全く売り上げにつながらない日々。どんなに開発の理念が崇高できれいに宅地造成しても、家が建ちそこに人が住まなければ『街』とは言えません。当たり前のことですが「営業は結局、売って締めなければ仕事をしたことにならないのだ」という思いをかみしめる毎日でした。

それでも「つらくてもやり抜くしかない。やっていればきっと報われる」と努力したものの、半年間受注はなし。最後は大きすぎた土地の区画を割り直し、ほとんど投げ売りのような状態で宅地を売り切りました。この苦い経験から学んだのは、仕事は何事も最初によく考えておかないと、後がつらいということ。次のプロジェクト(明野東)ではこの教訓を生かして、宅地の造成前にマーケットニーズに沿って計画を練り直し、いい成績を残すことができたのです。仕事というのは正直なもので、手を抜けば必ずしっぺ返しが来るし、逆に汗をかけば報われる。それまで、ある意味安全なところから言いたいことを言っていた管理部門にいた私にとって、現場での営業の仕事は厳しくも、とてもいい勉強になりました。

 そんな大分での苦闘を経て八幡の九州支店へ移り、数えてみれば九州暮らしももうすぐ6年。転勤する人の中には「早く本社へ戻りたい」と願う人も少なくないし、周囲も「どうせ数年の腰かけだから」と見ることも多いようです。でも私のスタンスとしては“転勤は片道切符”。“この会社”に就職したのであって、“東京”に就職したわけではありません。だから最初に大分に転勤した時も「何年たったら帰るんだ?」と聞かれるたび、「いや、ここに骨を埋めるつもりですから」と答えてきました。どこへ行ったとしても、自分ができる仕事をさせてもらえる限りは、精一杯その土地の仲間と一緒にがんばりたい。今ここでできることをするしかないと思うのです。

今、私が主に手掛けているのは八幡・東田の開発です。ここは新日鉄グループにとっても、新日鉄都市開発にとっても象徴的である大切な土地。100年前から根ざしてきた場所であり、残った数少ない自社開発用地の一つです。また北九州の中心地でもあり、既成の市街地でこれだけ広大な開発用地は今ではほかにありません。

また最初に製鉄所ありきででき上がってきた街としては、地元に還元するという意味もあり、地域での期待や影響力も大。そうしたさまざまな意味で、やりがいがある大きな仕事です。今も既にイオンやナフコのショッピングセンターが出来上がりつつありますが、これは偉大な先達が10年以上の時間を掛けて準備してきたものを私が受け継いだもの。行政や地域などと、バランスと調和を取って街づくりを進めるのは気を遣う部分も多いですが、同時に大きな面白さもあります。住宅にしても街にしても、ものが形として立ち上がっていくのを見る感動は、管理部門にいては分からなかった喜びです。今は会社の根幹である、こうした事業に携われて本当に嬉しい。これからもその感動を胸に、この東田の開発に全力で打ち込んでいこうと思います。

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