社員インタビュー

失敗して気付いた大切なこと

菊地史春
1990年入社/プロジェクト開発部 マネジャー(日本橋室 マネジャー兼務) 

 平成14年、その年が来るまでの私は自信に満ち溢れていました。平成9年に大阪・堺から本社・住宅部へ戻ってきてからの約5年間、担当してきたプロジェクトがすべて成功を収めていたからです。現在の住宅事業部は、各ユニットごとに用地取得から開発業務までを担う体制となっていますが、当時は用地と開発とが分かれており、私は開発の担当として再開発および一般土地購入案件を複数同時に推進する忙しい日々を送っていました。そんな中、平成13年の夏ごろ、さらに新規案件を3件まとめて引き受けることになったのです。スケジュールがタイトなこと、少数のメンバーで10数件のプロジェクトをこなしていく必要があることから、業務負荷が高まるのは目に見えていましたが、仕事を断るつもりは全くありませんでした。

その理由の一つには、平成4年から5年間勤務した大阪・堺での苦い思い出もあったかもしれません。社運を賭けたプロジェクトへの夢を膨らませて赴任したのですが、バブル時代に描かれた事業計画は一向に前に進まず、事業着手は逃げ水のように遅れていき、することといえば会議の議事録作りと計画案の見直しばかり。仕事での充実感を得ることがなかなかできなかったのです。そんなつらい日々を経験し、本社へ戻ったとき、私はまさに仕事ができる喜びに浸っていました。仕事に飢えていた反動もあり、次々に物件を引き受けたのです。そして、ある物件で自分の商品企画が顧客から高い評価を得られたことがきっかけで徐々に自信を持つようになり、さらに担当物件での成功を重ねていくうちに「自分が商品企画すればどんな厳しい条件の物件でも成功できる」という気持ち(過信)に変わっていったのかもしれません。

そして迎えた平成14年、「自分ならなんとかできる」と引き受けた先の3物件の販売がいよいよスタートしたのですが、本当に全く売れずに惨敗、大幅な赤字となってしまったのです。用地部隊の反対を押して、商品企画を大幅に変更して臨んだにもかかわらず、このような結果に終わり相当なショックを受けました。本当に惨めな気持ちでした。そして、なぜ失敗したのかを考えていくうちに、今まではたまたま追い風が吹いていただけ、ということに気付いたのです。マーケットが比較的順風だったこと、建設コストを抑えることができたこと、等々の別の要素が本当の成功要因で、自分の商品企画などはマーケットの前では全く無力だということを痛感させられました。

その一方、「この失敗は、すべて企画を行った自分の責任である。この赤字で事業部に迷惑がかかるようなら、責任を取って会社を辞めよう」とも考えました。ところが、これを聞いた用地担当者からこんな言葉が返ってきたのです。
「菊地さん、土地を買った人間の気持ちにもなって下さい。土地を買った者にも責任はあるんです。だから自分一人で責任をとるなどと言わないで下さい!」ハッとしました。物件にかかわってきたすべてのメンバーがそれぞれ誇りと責任を持って仕事に取り組んでいるのです。それに気付き、自分もこの失敗を乗り越え、もう一度一から出直そうと心に決めたのを覚えています。

現在、私は住宅事業を離れ、プロジェクト開発部で新規ビジネスの開拓に取り組んでいます。また日本橋室では、地元の活動への参画を通じて、エリア全体の価値を高めていくことを目標としているのですが、これが今まで打ち込んできた再開発の仕事に似ているんです。長年日本橋に住み日本橋を愛している地域の方々と一緒に活動するためには、まず地域の方に信用してもらわなければなりません。再開発での地権者の方々と信頼関係を築きながら事業を進めてきた経験が、この仕事にきっと役立つと思っています。

仕事というものはうまくいくことも、いかないこともある。でも、失敗からこそ学ぶべきものが多くあるはずです。だから一つくらい失敗してもくよくよせず、前向きに気持ちを切り替えて進んでいくことが大切なのだと思います。

 

 

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