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街づくりのダイナミズムにしびれて
新妻俊樹
1992年入社/不動産開発企画部 事業企画グループ グループリーダー
大学で都市計画、街づくりを学んでこの世界に入った私はもともと技術屋です。だから建物や街をつくり上げるという、ものづくりが根っから好きなんですね。苦労して取り組んだ物件の入居者内覧会の際「きれいに立派につくっていただいてありがとうございます」と言っていただけると苦労が報われた感があります。さらに個々の建築だけでなく、周辺地域へも影響を及ぼせるような大規模再開発を手掛けて、発展していく街を見ることができると、よりダイナミックな魅力を覚えます。
そんな仕事で常に意識しているのは経済的な合理性だけでなく、どこかに遊び心やゆとりを加えること。ただ基盤目状のような街をつくっても面白くないでしょう。使う人、住む人が憩い、楽しめる空間を仕掛けて喜ばれるものにしたいんです。特に印象深かったのは北花田庭園都市・グランアヴェニューのプロジェクトですね。この物件ではもともと外構に小川を流す計画があり、当初は単に溝を掘って水を張るだけのものでした。でも私は、それを子供たちが遊べるようなせせらぎにしたいと思ったんです。そこで段差をつくり、大きめの石をごつごつと並べ、緑を植えて渓流のようにしました。
その思いの背景には私自身の原体験があったのかもしれません。東京都杉並区で生まれ幼少期を過ごした私ですが、当時の杉並にはまだ随分自然や畑が残っていました。私も家の裏を流れる神田川でザリガニやフナを釣ったり、八幡神社でカブト虫を捕ったりして遊んだものです。そんな懐かしい風景を思い起こしながらつくり上げた北花田の小川。竣工後、しばらくして久しぶりに訪れてみると、その小川でとてもうれしい光景に出会いました。幼稚園生から小学生くらいの子供たち数人が楽しそうに水遊びをしていたんです。おまけにだれが放したのか小川には金魚やヤゴが泳ぎ、トンボまで飛んでいました(笑)。自分が意図した以上の楽しい空間が生まれ、入居者の皆さんに喜んでもらっていることを感じて、非常にうれしく、満足感でいっぱいでした。
もちろん事業はうまくいくことばかりではなく、苦い思い出もあります。当時の大阪支店在勤時、ある分譲マンション事業で近隣住民の激しい反対にあい、事業を断念したときは本当に悔しい思いをしました。住民が行政に働きかけ、高さ制限のある地区計画が策定されたことで予定建物ボリュームを建てられなくなった結果でした。後から考えてみれば住民が結託する前に個別交渉に切り替えればよかったのでしょう。この経験から、当たり前のことなのですが、仕事では入り口を間違えると、後々取り返しがつかないことになるということを痛切に学びました。
また私にとって大きな転機になったのは、信託銀行に出向したことです。信託銀行では不動産コンサルティング部門で働き、不動産を全方位的に学ぶことができました。それまで住宅開発しか経験してこなかった私にとって、不動産全般という枠で業務を考えるいい機会になりました。ただ、そこで気付いたのは、自分はやはりコンサルという“提案”よりも自らが主体となって“ものづくり”をすることの方が好きなのだということ。私にとってワクワク感やしびれるような緊張感は、やはり建物や街をつくり上げることでこそ得られるのだと感じたのです。
そして常に考えるのが一緒に仕事する相手と互いに「また一緒に仕事をしたい」と思えるいい関係をつくること。現在は主に新日鉄の社有地開発、有効活用の業務を担当していますが、以前、大津のスポーツクラブ事業に携わったとき、相手先の担当の方とは「互いに信頼できて、仕事で何かあったときに、相談し合える関係になれるといいですね」と話したりしていました。彼らとの合言葉は「お互い偉くなろうよ。そしてそのときも今のような関係で、いい仕事をしよう。それが一番ハッピーだ」。そのためにも私ももっと頑張らなければなりませんね。
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