社長コラム

Vol.22  被災地に心を向けて(2011.07)

3月11日午後2時46分から間もなく4カ月が過ぎようとしている。テレビに映る被災地の様子に、どうしてこんなにも復旧の歩みが遅いのか、自らの無力は恥じながらも心が痛む。

あの日から、人の営みは、大津波の無残な爪跡に茫然自失となり、音もせず見ることもできない放射能汚染の不安に、心身ともに解放されない時間が続いている。そして、被災地や避難所では、海や土とともに生きてきた暮らしをそっくり壊されてしまった多くの人々が、喪ったものの大きさに今なお深い悲しみのなかにある。それでも、桜は咲き、新緑は輝いて、自然はまるで何事もなかったように季節の歩みを進めている。時は経っても、被災地から遠く離れていても、私たちはいつも心を被災された人々に向けていたいと思う。日本ほど美しい四季を持つ国はないが、日本列島ほど世界中で際立って危険な地震地帯はまたない。日本とはそういう宿命の国であり、私たち日本人すべてにとって、今回の災禍は他人事では決してないのだから…。

この原稿を書きながらも、いろいろなことを考えさせられている。特に、多くの海辺の町で、襲いかかる大津波の濁流のなか自らは九死に一生を得ながら、握り合っていた手が離れ眼前で愛する肉親を亡くした被災者の方がたくさんおられるという。この生と死を分かつわずかな巡り合わせ、運と不運とは何なのか。天命の無慈悲という、こうした感覚を、私自身これほどに実感したことは過去にはなかった。

実は私も、震災前夜から当日にかけ被災地岩手県釜石に出張していた。この2年間余り当社が手掛けてきた釜石市内初の分譲マンションの竣工行事への参加が目的で、関係スタッフ4名も一緒だった。当日午前中に無事にスケジュールを終え、帰路のJR釜石線の車中(釜石駅出発後19分経過地点)でホッと一息ついていたところでもの凄い揺れ・衝撃に遭遇。大きな岩にでも衝突したか、脱線事故かと一瞬考えたが、大きく長い揺れが続くので地震、それも相当の大地震と覚悟した。そして、震災前後に私の身の回りで起こった出来事…。現地に入った前日の夜、皆で食事した後寝酒を飲んだスナックは津波で流失、顔なじみのママさんは今も行方不明だ。地震発生前1~2時間は、釜石港に沿った自社保有の建物や土地を皆で社用車で巡回していた。揺れの1分前には、風が少し強いと運行禁止になる峡谷をまたぐ単線の鉄橋上を私たちの列車は通過していた。カンヅメになった3両の車両は、右側が岩肌の山、左側は50メートルほどの切り立った谷という山中(当然携帯は圏外)で5時間余り立ち往生、絶えず続く余震に脅えながら山肌の大きな岩をただただ凝視していた。夜9時頃に至近の駅にたどり着き列車から降ろされ、近辺の村の避難所をあてがわれて一夜を過ごす。翌日夕方になって、本社が手配してくれた遠野町のタクシーで、陸路500㎞を徹夜で走ることを決断し、ほぼ15時間かけて5名そろって何とか帰京できた。私たちが闇夜通って来たガタガタに傷んでいた国道は、その後全面通行止めになっていた。自宅で少し休み、あらためてテレビ画面で見た大津波の惨状は今も目に焼きついている。何故こんなひどいことが起きてしまったのか、自分は何をすればいいのか、何ができるのか。原発事故の危険性という事態も加わって、映像に釘づけになりながら、やり場のない感情に身を固くしている自分がいた。

 「土 水 空気 にんげんのつくったものじゃねんだよなあ」(相田みつを)というフレーズが頭をよぎる。気仙沼の一人の中学生が、卒業式の答辞で災害への悔しさ、無念さを語った後「それでも天を恨まず」と叫んだという報道が思い浮かぶ。一部の識者の間では予測されていた巨大津波の再来、そのリスクを過小評価していた原発の震災対策、それらを今も想定外と言いつのり現場・現実に向き合わない人々が、天災を人災にしてしまった。自然とともに生きてきた古来からの日本の伝統と日本人の叡智を、私たち皆が今一度謙虚に振り返らなければいけないと思う。

復興・復旧に対する政府等の本格的な取り組みは、遅々としていると言わざるを得ない。政局話に至っては論外だ。一方で、被災された方々への市民レベルでの共感の絆は、しっかりとした支援の広がりを見せている。国難ともいえる状況に遭遇し、私たちが見失いがちだった日本人としての一体感、道徳心を今一度覚醒させられたとしたら、21世紀の日本は、近時の閉塞感や寒々しい世相を脱却し、再び礼儀正しく心やさしい共助の国を築き上げていく道を歩んでいけるのかもしれない。

被災地が、震災以前の明るさを呼び戻すまでにはまだまだ膨大な時間が掛かるのだろう。だからこそ私たち一人ひとりが、隔たりがあるとしても、被災者の皆さんに寄り添う気持ち、向き合う心を持ち続けよう。人を支えるのは、いつも人だということを胸に刻んで…。

 

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