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Vol.10 盆踊りの太鼓 (2007.09)
「私か、小沢か?」と自ら仕掛けた筋違いな喧嘩に思いがけない大敗を喫した安倍首相ならずとも、今年は本当に長く暑い夏だった。事実、国内の最高気温が40.9度と観測史上74年ぶりに塗り替えられたり、10年以上観測を続けている北海道から沖縄までの全国101地点で最高気温の記録が更新されたそうである。なかなか本腰が入らない地球温暖化防止の取り組みへの警鐘でもあるかのように…?そんな今年の猛暑ではあったが、わが家近くの公園で行われている盆踊りの太鼓の音に、還暦の年の往く夏を惜しむ気持ちになった。
「額に汗してコツコツ働く」、それを至上として生きてきた団塊世代。私もそんな働き人間の一人として、“夏休み”という言葉の響きにほんの少しの休息と安らぎを感じる夏という季節への惜別の気持ちは、年をとるとともに強くなってくるように思う。
盆踊りは日本の夏を代表する地域行事の一つであるが、今どきの盆踊りは、若者をはじめとする参加者や協力的な地元民が減って、準備に当たっている有志の皆さんにとっては大変なご苦労だと聞く。私の住む街も典型的な私鉄沿線の郊外型住宅街。核家族化の影響やIRマンション等に住む人の増加で、ときどき顔は見かけるものの、果たして本当に町内の住民なのかどうか定かでない人たちも増えてきているとのこと。コミュニケーション以前の日常の挨拶すらまともに交わせない状況があちこちで散見されるようでは、私たち世代の人間には懐かしい地域の祭りも下火になっていかざるを得ない。人口が減少し高齢化が進んでいく社会のイメージをさらに暗いものにする残念な寂しい現象である。
他方、こうした個人が孤立しがちな時代に、人と人とのつながりがこれまで以上に求められる社会にあって、個人情報保護の過度な運用に対する危惧の声が強くなっている。災害や事故に際し安否を気遣う親族からの問い合わせに「個人情報ですからお答えできません」と杓子定規に応じる病院関係者。私自身もこの夏、遠く病床にある身内の状況をどうしても急ぎ把握したい事情が起こり連絡したところ「病状説明は個人情報であり電話では答えられない。本人確認もありご来院願いたい」。面識のない医師であり彼の立場を思えば止むを得なかったかと今は思えるが、そのときは東京と大阪という距離に阻まれた私にとって電話を通したやりとりは何とも切ないものであった。「もっと常識的で人間味のある対応はできないのか。匿名性の保護もいいが、これではまるで“覆面社会”ではないか」という意見を耳にしたことがあるが、なるほどと共感してしまう。
事業用地の調査で訪れたある首都圏の自治体の街づくりキャッチフレーズに『子どもの元気が見える街』というのがあった。最近は本当に見かけることが少なくなったが、子どもたちが外で安心して元気に遊べる街へ地域の大人たちがしっかり見守っていこうという思いが込められているように感じた。安全・安心の街づくりはすべての地域にとって、重要な課題であることに論をまたない。先般の名古屋市内で発生したネットが結んだ男3人による女性拉致・強殺事件、あまりに凶悪・自己中心的な犯罪に言葉を失ってしまった。それにしても驚愕すべき事件が次々と起こり、驚くという感覚すら麻痺してしまいそうな世情であるが、犯人が逮捕されるたびに「近くにそんな人が住んでいたなんて知らなかった」という風な住民の声を聞くにつけ、何とかもう少しお互いに顔の見える社会にならないものだろうかと、自分たちが育った時代の町の雰囲気が懐かしく思い出される。国や自治体(=権力)と個人(=プライバシー)を対立軸において社会・生活を捉える見方ではなく、個人が日々暮らす集まりとしての“地域社会という公的な場”と“個人”の折り合いをどう形成していくのか、という素朴な発想で街づくりを考えていくことが今大切であるように思えてならない。
こうした見方からすると、地域の盆踊りも、単に古き良き行事・レトロな祭りという伝統的な意味にとどめず、むしろバラバラな個人(弧人?)が覆面をして歩いているような過度な匿名社会を、もう少しバランスとつながりのある社会に変えていく、一つの取り組み・工夫として位置付け直すことができるのではないだろうかと思う。
そんなことを思いながら、盆踊りの太鼓の音に、実りある秋に向けての活力や人々の営みの大切さを感じた、去り往く夏の夜だった。
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